Dear ジョン・レノン (木島タロー私記 on JLSC入賞)

2017.3.15

からもう10年も前になるが、クリスという大変に有能なゴスペルシンガーソングライターのCDを製作した。

彼の人生で初めてのオリジナル音源が完成した時、彼は、「アメリカで一番でかいソングライティングのコンテスト2つに応募する」と言ってきた。そのうちの一つが、オノヨーコが設立した「ジョン・レノン・ソングライティング・コンテスト(JLSC)」だった。

審査員には、ジミー・クリフ、ブラックアイドピーズ、ブーツィー・コリンズ、ジョージ・クリントン、ネイザン・イースト、レッドホットチリペッパーズなどのとんでもない名前が並ぶ。
JLSCは数万もの応募があると言われる中、クリスの応募作品に対しては結局音沙汰なしだった(もう一つのコンテストではクリスはセミファイナルまで登った)。

こうして僕はこのJLSCを知ったわけだが、このコンテストにゴスペル部門があるのはちょっとだけ意外だった。ジョンは教会からは決して好かれないアーティストだからだ。

 

は遡って、30年近く前。中学生の僕は、ビートルズに夢中だった。すべてのアルバムを揃え、すべてのバンドスコアを買い、ギターを練習した。ギターケースに、「Past Masters」のジャケットのロゴを模した「The Beatles」のステンシルを自作してスプレーし、持ち歩いた。
イケメンで美しい曲を書く優等生のポールよりも、深遠なワルで、支配層をこき下ろし、時々意味不明なほどアーティスティックになるジョンに惹かれていた。Nowhere Man は、孤独な僕のテーマ曲になり、僕は家で何回も、何時間も、誰に聞かせるでもないのにそのハモりの録音を繰り返した。

高一になる頃には僕は髪を伸ばし、丸いサングラスをかけて学校を歩いていた。ジョンの命日と僕の誕生日が同じであることが、小さな運命を感じさせる密かな誇りだった。

音楽で世界や人生を変えられる、そう夢見させてくれた伝説がジョン・レノンだった。

Dreamers Union Choir の名前は、ジョン・レノンの Imagine の歌詞に由来し、今日まで、ジョンは僕のそばにいる。

リスの製作をやっていた時は、自分がアメリカで楽曲の賞にトライしてみようなんてことはあまり発想に持っていなかった。というかそもそも僕は、自分のカテゴリーは特殊だろうという言い訳で、賞関係には興味を持って来なかった。でもある時、ゴスペルディレクターをやっている黒人の友人が、「お前の曲を一曲もらっていいなら My I Love You をやりたい。」と言ってくれた。
そのこともちょっとした励みになり、この曲を一度、$30払ってJLSCに投じた。

なんの音沙汰もなかった。

しばらくするとファイナリストと優勝者達だけが発表された。

そりゃあそうだ、と僕はため息をついた。カテゴリー名こそ「ゴスペル/インスピレーショナル」となっているが、この Inspiratonal は、ある程度教会寄りの楽曲を指すことが多く、完全な非宗教曲を意味してはいないだろう。審査員にはシーラ・Eもいて、かなり敬虔なクリスチャンアーティストだ。僕が娘に宛てた My I Love You のような曲のためのカテゴリーじゃないんだろう。かといって、他のカテゴリーに入るはずもない。無数の応募の中で、高名な審査員たちの耳にさえ届かなかったろう。日本国内の音楽ジャンル群と同じように、結局僕には縁のない世界なのだ。

JLSCからは時折、相変わらずのニュースレターだけが届き続けた。ジョンは今も遠くにいて、僕が彼を知っていても、彼が僕を知ることはなかった。

れから数年。DUCのサウンドも成長した。JLSCは録音のクオリティーに関係なく歌詞とメロディーの構築を見る、と言ってはいるものの、サイトで聴けるファイナリストたちのサウンドは皆きちっとしている。本当に録音のクオリティーが関係ないなんてことがあるわけがない。

United Dreamers はどうだろう? 賛美曲でこそないものの、聖書からの着想を持っている。

歌詞と楽式の構築は、僕が大学と教会で学んできたことの集大成でもあり、チームの演奏能力を最大限まで使い切るボイシングを取り込んだ。テーマも、今まさに僕らが向かい合うべきものとしての情熱を注いでいる。

歌詞をタイプし、音源ファイルを圧縮して、僕は再びJLSCに投じた。一曲の応募に3000円。何曲も投じるには抵抗があるが、やたらに応募するのを制限するにはいい数字なのだろう。

それに、United Dreamers はテーマ的に、今JLSCのGospel/Inspirationalカテゴリーに出せる唯一の楽曲に思えた。

自信はあるのか。

ある。いや、ない。

僕は純ゴスペルじゃないのに受賞させるなんてことあるわけがないんじゃないかと思うし、アメリカはニューヨークのプロアマ問わずの国際コンテストで強者たちが応募してくるだろうし、僕は留学もしておらず英語は独学。
勝てないと思う理由は無数にあるが、勝てると思う理由は「これがいいものだと思うから」という1つのみ。

でも、ファイナリストの3つの席にこの曲が乗ることを思い描くと不思議と、何万の応募があろうが、この曲がそのポジションにいるのは自然なことに見えた。そのビジョンが見えたようだった。

ヶ月してある日、ふっと思い出して、そろそろ発表だなあ、とJLSCのページを開くと、なぜか僕が応募した2016 Session II だけ勝者情報がなかった。2017の募集は始まってるというのに。

なんだこりゃ、先月に発表の予定だったのに。まあいいか。

僕はまた、この件については忘れることにした。
大丈夫、こちらはこちらで元気にやっていけます。

その二日後の朝、起きるとメールが届いてた。

“Congratulations Tari Kijima / Dreamers Union Choir!
The following will confirm that after a long and difficult adjudication process, your song “United Dreamers” was selected as a Finalist in the Gospel / Inspirational category of the 2016 Session-II John Lennon Songwriting Contest”
「タリキジマ / Dreamers Union Choir さん。長い協議の末、あなたの曲がファイナリストに選ばれました。プロモーション情報を送ってください。」

おいおいおいおいおい、タリじゃないよ。

僕が人生で初めて作詞作曲で受けたまともな賞が、これだった。(だって、僕が最も打ち込む種類の楽曲は他にどこにも送り先がないのだ。)

慌てて再びJLSCのサイトを開くと、Gospel/Inspirational のファイナリストの欄にしっかりと、Tari Kijima/Dreamers Union Choir と書いてある。

尚、優勝者も同時に発表されていた。普通ファイナリストと言われれば、そこから優勝者が決まってゆくのかと思いきや、JLSCではFINALISTを実質「準優勝」の意味で使うのだ。

いや、これでいい。今から一週間かけてファイナリストの中から優勝者を選びますとか言われたら心臓がもたないところだった。

僕は早速メールに喜びの返信を出した。
ありがとうございます! 「Taro」 Kijima です。
と。

各音楽ジャンル(12ジャンル)に3名ずついるファイナリストの一人なので、賞品は大きなものじゃない。

でも、この歳になってこんな小さなことを噛みしめていうのはちょっと気がひける思いもあるが、「DUCの楽曲はアメリカで、世界で通じる」。それが、この受賞が与えてくれた、小さくて強固な種だ。
日本から、宗教活動じゃないクワイアー音楽を発信できるんだ。
Power Chorus は必ず大きくなる。そういう灯がついたんだ。

40過ぎて、こどもを抱きあげながらでも、十代のあの日と同じように僕は夢を見る。

Dear ジョン・レノン
長い長い年月の後で、あなたに僕の名前を知ってもらえたような気が、少しだけします。
必ずまたお会いします。

(写真は、僕の部屋に飾ってあるジョンの写真集)

 

The John Lennon Songwriting Contest オフィシャル
→ “Winners” から “Finalists Session II” で、受賞者へ)


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