英語では一発屋のことを「one-hit wonder」と言う。「一撃きりの不思議」とも訳せるが、「Wonder(不思議)」と言われるのは、「なぜあんな大ヒットが出せたのか不思議」という嘲笑ではなく、「あんなに輝いたのになぜか消えてしまった」という惜しみと敬意が込められているのではないかと思う。
「あの人次は何をやってくれるんだろう」と期待される往年のビッグアーティストたちは、常にテレビや広告会社の会議を経て次々にヒットを生み出す。そういうヒット曲作りを、言葉は悪いが、魚などの「養殖」に例えると、一発屋の楽曲は「天然もの」と言えるかもしれない。
売れるために事前に敷かれたレールやシステムはない。突然出てきた「なんだこいつ」の鮮烈な一曲は、何もないところから偶然生み出された輝きだ。(常にそうではないだろうが..)
一発屋の一発にはダイヤの輝きがあるということだ。
著名アーティストの作品にもダイヤの輝きを持つ曲は当然あるが、彼らの世に出た作品群にはダイヤもあれば真珠もジェリービーンズもある。もう「見つけてもらうのに苦労しない」からこそ、そういうダイヤとは違った、真珠やガラス玉の輝きも世に出して、結局一定数売れる。
でも「一発屋」たちは違う。「その一曲がダイヤの輝きを持っている」からこその一発屋だ。
小さい頃、母が毎週欠かさず「ザ・ベストテン」という歌番組を見ていた。ずいぶん素敵な歌をたくさん聴かせてもらったと思うが、僕が小学校高学年になった頃、ローラースケートを履いた歌が全然上手じゃない集団がずっと番組に出るようになった。人気があるんだという。
それ以前にも奇抜な格好はした歌手はいた。ジュリーこと沢田研二などは、おもちゃの兵隊みたいな服にパラシュートをつけてTOKIOを歌っていて、子供心にそんなヘンテコな服がなぜ必要なのかいぶかしんだ。でも少なくとも彼は歌は上手かった。だから変な衣装も楽しかった。
ローラースケートの彼らもきっと人気が出るまで苦労はしているんだろうから、あまり文句を言いたくはない。でも、ザ・ベストテンは僕にとって「歌の番組」ではなくなってしまった。歌が下手な人たちばかりが上位になることの理由が全くわからなかった。僕は漠然と、彼らのファンという人たちが僕(と母)から音楽の時間を奪ったと感じていた。
その頃ちょうどビートルズに出会った僕は日本の歌を聞くのをやめた。だから、僕の青春の思い出に J-pop はほとんどない。そんな僕にとってのJ-popのヒットソングは「母の世代の曲」だ。
昭和の終わりというその時代(70年代〜80年代)を飾った輝かしい一発屋たちの曲と姿は、子どもだった僕の脳裏にも焼きついた。
「ウェディングベル」のシュガー。
「ダンシングオールナイト」のもんた&ブラザーズ。
「ペガサスの朝」の五十嵐浩晃。
「異邦人」の久保田早紀。
「大都会」のクリスタルキング etc…
どれもこれも今聞いても名曲で、なんでこれだけの楽曲を生み出せた人々が「往年の」と言われるビッグアーティストにならなかったのか、聴くほどに不思議になるばかりだ。同じ時代に輝き始めたサザンオールスターズ、中島みゆき、松任谷由実、安全地帯(玉置浩二)、オフコース(小田和正)、長渕剛などは今に至るまでJ-pop界に燦然と輝き続けているというのに。
そんな時代の代表的一発屋の一人が「ふられ気分でRock’n Roll」の「TOM☆CAT」だ。作詞作曲ボーカルはTOMという女性だった。楽曲はシンプルだったが爽快な疾走感を持っていて、女声とも男声ともつかないボーカルの質と相まって、この歌をずっと聴いていたいと子供の僕に感じさせたものだった。
ヒットした年、今でいう正月のM-1優勝者なみにテレビに出ていたように思う。でも、あまりにも出過ぎたせいか、本当にすぐ飽きられてしまった。「アーティストではなく楽曲」、「アートではなくお祭り」になってしまったのだ。いかなお祭り好きでも同じ祭りで一ヶ月も騒げば他のお祭りに移りたくなるものだ。
その頃、日本中の男子の間で「お前はすでに死んでいる」が決め台詞のマンガ「北斗の拳」が大ブームだったが、そのアニメ化に伴いとある一発屋が見事な「二発目」をスマッシュしていた。1979年に「大都会」をヒットさせた「クリスタルキング」だ。
クリスタルキングは今聞いても鮮烈な印象のバリトンとテナーの高低ユニットで、「大都会」の記憶が残る大人たちにとっても、彼らが歌う北斗の拳のテーマ曲「愛をとりもどせ!!」のサビでそのボーカルが入れ替わる様は、あの一発目を彷彿とさせる興奮だった。
「愛をとりもどせ!!」を知らない40代、50代の日本人男性はいない。その歌詞の一行、「邪魔するやつは指先ひとつでダウンさ」は、北斗の拳の世界観の集約だった。
あの5年前の一発目があったからこそのこの二発目であり、見事に一発目の伝説を超えることに成功していた。
しかし、その後クリスタルキングが息を吹き返したかといえば、そうはならなかった。大都会と愛をとりもどせ!! 以外の彼らの曲を思い出せる人はいない。しかしこの凄まじい2曲を聴くにつけ、なぜ彼らがアーティストとして継続して注目され続けることがなかったのか謎が深まる。
さて1987年、北斗の拳はシリーズ2作目に突入する。宿敵ラオウとの死闘を終えたあと消息を絶った主人公ケンシロウが、乱世の中で反乱軍としてケンシロウの帰りを待ち続けるかつての少年少女のもとに戻ってくるストーリーだ。
この新シリーズの主題歌に僕は再び衝撃を受けた。
一発屋 TOM☆CAT が、ケンシロウと共に表舞台に帰ってきたのだ。
あの日本中を震わせた「愛をとりもどせ!!」の後継ぎを作ろうと言うのだから容易ではなかったはずだ。
でも成功した。クリスタルキングと同じ、「一発目」のダイヤの輝きの全てを乗せ、しかも一発目を超えてきた。
それが、今回DUCが歌った「TOUGH BOY」。
この世代は大人も子供も、心に刻み込まれた「ノストラダムスの大予言(1999年7月に世界が滅びる)」の不安を心の端に小さく住まわせていた。そんな彼らの心をがっちりと掴んだ「世紀末救世主伝説-北斗の拳」。アニメの世界とマッチングした「時はまさに世紀末、この腐敗と自由と暴力の真っ只中..」の歌詞と、子ども市場を意識したとは到底思えないヘビーなロックサウンド。この主題歌は再び子供から大人までを魅了した。
TOM☆CAT。かつて一度輝いたあの巨大なサングラスの女性は偶然のシンデレラなんかではなく、間違いなく「アーティスト」だったのだ。そう僕に感じさせた。今聞いても、ベースとドラムとギターだけのサウンドでありながらAメロからBメロ、Cメロへあれだけ重さと甘さを使い分けた展開を見せるのは尋常なセンスじゃない。ロックというものを聞き込み、精通し、休まず作り続けてきたのでなければこういう楽曲はできない。
さて、この曲の後TOM☆CATが息を吹き返したかといえば、そうはならなかった。その後 J-popの表舞台からは再び姿を消した。あの一発屋は今、みたいなテレビの企画だけがTOMさんの唯一の生存の証しになってゆき、そこでは鉄工で家具を作る、ちょっとだけ威勢のいいごく普通の人間の姿を見せてくださっている。
今思えば、彼らが「往年のアーティスト」に移行しなかった理由について推測することはある。
クリスタルキングのライブの映像を見たことがあるのだが、そのMCはまるで地方の売れない芸人のような雰囲気で、演奏後にボーカルが喋り出すと、今しがた歌った歌の世界観がまるっきり吹っ飛んで現実に戻されてしまうのだ。ディズニーシーのタワー・オブ・テラーの興奮から降りてきたら高円寺の駅前に出たような感じだ。
ふたつのアーティストとも音楽家としては優れながら、「一つの世界観にリスナーを没頭させる」という技術を自分たちでは備えていなかったのかも知れない。楽曲が持っている世界観と実際の人間像が離れすぎていて、アーティストとして継続して売り続けることや、曲から期待される自分像として振る舞ってゆくことに無理があったのかも知れないな、などと身勝手に思う。
長渕剛のように、曲の世界と人間の生き様が一致しているという夢を、やはり人は見させて欲しいんじゃないか。
だからこそ、その「世界観」の面を補うのに理想だった舞台が「アニソン」で、北斗の拳の世界観こそが、ふたつの一発屋を一度は救ったのかも知れない。
もし本当に僕の推測通りそういうことなら、番組のプロデューサーはそれを見抜いていた相当な知恵者だったのかも知れない。
「能力も独創性も備えた並外れたアーティストである彼らに唯一欠けている”世界観”という部品さえ補えば、凄まじい力が放たれる」。
僕も多くの人と同じで、TOM☆CAT のたったふたつの曲「ふられ気分でRock’n’Roll」と「TOUGH BOY」しか知らないが、それでもTOM☆CATは日本が世界に誇れる優れたロッカーなんじゃないかと感じる。
北斗の拳の助けを得て世に出たそのセンスを壊さないようにアレンジを仕上げてみた。
コーラスアレンジしても「原曲の方が好き」と言われないだけのものを作った。それがアレンジをする者の矜持だと思う。原曲の世界観をより伝えられるようなコーラスに仕上がっていることを願う。
余談
先日、Apple Music でTough Boyの「21世紀バージョン」が出ているのを発見したが、おそらくデスメタルと呼ばれる種類の音楽と化していて、「おお、そっちに行ってしまわれたか」と感じた。過去のファンに媚びず、ロックの発展を追求していることが伝わってくる。デスメタルを聞かない僕にとってサウンドは好みじゃないし、これでは売れはしないだろう。でも、ああ、TOM★CATは本当にロッカーだったんだ、と感じ、そのことが奇妙に嬉しかった。
Taro Kijima
声部編成: SAT。
ソロシンガー: なし
伴奏: G. B. Drums.
難易度:
音程 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 4
リズム: ⬛︎ ……
各パートを学習できる動画ファイルです。
Sopranoの動画は、右チャンネルにソプラノが、左チャンネルに他の2パートが流れます。右を聞いてパートを学んだり、左を練習の際のマイナスワンとして利用してください。
https://youtu.be/X5oO6NdXdz8
https://youtu.be/GkBYuB5……
https://www.youtube.com/watch?v=V4A-lcsnFRk