過去と未来の接続 / 浪漫飛行アレンジノート by ミリオン再生合唱団

※2024/7/14にオンエアされる「オールスター合唱バトル」中の曲目です。


回この曲を歌った「ミリオン再生合唱団」のメンバーのほとんど(全員?)にとって、この曲は生まれる前の曲だった。1ラウンド目にパフォーマンスしたオトナブルーに比べ、メンバーたちが曲を自分たち向きではないのではないかと感じてる風もあった。

 

が、その空気はすぐなくなった。浪漫飛行は今にも十分通じる楽曲だ。誰か顔の良いタレントを売るためやアルバムの曲数を埋めるためだけに流行要素を寄せ集めたような楽曲は次の世代に歌われることはないが、この曲はそういうものとは違う。

 

往々にして、ある時代を代表するような楽曲には何かしらの目覚ましい新しさが含まれているもので、この曲にもそういう要素が複数ある。

ず特徴的なのはサビが6小節x2=12小節で出来ている点だ。

 

ポピュラー音楽では、一つの楽曲の構成は「4小節1フレーズでそれを2回繰り返すAメロは8小節、Bメロも8小節でサビが16小節」というような、2の累乗の小節数で作られる周期構造が多い(大学でフランス語の堪能な先生からこれを「キャルール(四角)感覚」と習ったが、卒業以来その単語で聞いたことはない)。そこに、サビ前に1小節の追加延長を挿入したBメロが8+1で9になるとか、サビの最後のフレーズを一回だけリフレインして、8+2で10小節になるとかいうことはよくある。

 

が、6小節のフレーズ2回で12小節のサビというのは、この曲の同時代から今の時代に至るまで珍しい。このような小節割は普通に考えてつかみにくい、すなわち、のりにくいためあまり行われない。

ここの処理を、「のりやすい形」にうまく処理することによって、かなり現代においても新しさで通じる一曲になりうる。

 

幸い、歌詞にも受話器とかフィルムとかの古い単語も入っておらず、そもそも「浪漫飛行」というのが存在しない新たな単語の創作だ。やり方によって、新たな時代に再度挑むことのできる曲だと思う。

 

実はこの曲はすでにDUCや僕が指導するクラスではスタンダートとして歌っている。

DUC’s 浪漫飛行(短縮バージョン)

以前のバージョンは2番をはしょった短縮版だが、これをベースに、完全版としてのミリオン再生合唱団バージョンを作ってゆく。番組制作側にも僕の既存アレンジをベースに進めることを確認済みだ。

 

のアレンジでは、「サビの6小節フレーズをどう理解するか」に最大のポイントがある。

この6小節は「4小節+2小節である」という理解をまず試みることになるが、それだと最初の4小節が以下の通り:
I – V – VIm – IIIm*
となり、カデンツ(繰り返せるコード進行の塊)が閉じていない(IIIm から I に戻るのは聞き慣れない進行になる)。つまり、「サビのフレーズなのに繰り返せない形」になるので、実際に繰り返すかどうかはともかく、それを一塊と見るのは不自然さが出る。「4+2」の考え方はできないのだ。

*(Key Cなら、C-G-Am-Em, C-G-Am-Em..  ギターなど弾ける方はお試しを)

 

そこで逆に、やや奇妙な見方になるが、「2小節+4小節である」という解釈を試みる。すると、後の4小節が、
VIm – IIIm – IV – V*
となり、閉じた(繰り返せる)カデンツが出来上がる。つまり、一般的なサビのフレーズとしてつじつまがあうのだ。

(Key Cなら、Am, Em, F, G, Am, Em, F, G…)

 

そこで、リスナーにとっても「2+4」の感じ方が可能になるように、前半の2小節を伴奏形の工夫によってフィル化してしまう。つまり、「トランク一つ」がサビの頭ではなく、あたかも「(だ)けで」がサビの頭かのように振る舞う構造にする。

 

これで「メロディーを一切変えずに楽曲の構成が新しさを持つ」ことになる。元の曲が隠して内包する特徴を前面に出してやることによって、わかりやすくてノリやすく、かつ新しいものに聴こえる形を狙っている。

 

 

BメロにI度とIV度のコードが2回繰り返されるのだが、これは90年代までのゴスペルによく見られるコード進行で、テンポもちょうどいいため、これを利用してこの部分にゴスペルウォーキングを取り込む(これは以前の短縮版にはなかった要素)。このチームにはそのような演出を歌いこなすのに不可欠なアドリブを十分にこなせるシンガーたちがいる(ペルピンズRIOSKE/ずま)ため、その形をとった。テレビで必要なクオリティに挑むにあたっては、どんなチームにも使える要素ではない。

 

 

調がある。キーが上がる転調は普通、盛り上がりを目的に使われるため、転調直後をオチ(音圧を下げる)とするのはアクロバティックだが、そこに何を/誰を持ってくるかによっては効果を引き出せる。今回はそこにアレンジとしてはパッヘルベルのカノンを持ち込んだ。このセクションのリードシンガーをるーとも(るーか&おかのやともか)としたのはペルピンズのKazさんだが、見事な采配だったと思う。

 

 

旦楽曲が終了した後に、2番Bメロのゴスペルウォーキングを再び持ってくる形とする。一旦終わってからのリプライズは80〜90年代ゴスペルでの慣習だ。ゴスペルは礼拝音楽なので、楽曲終了後も礼拝の盛り上がりが止まらなければ「おかわり」は当然となってくるわけだ。もちろん、番組的に楽曲は短過ぎない方が良いという意向もあり、それを汲んだ形でもある。

サウンド的にゴスペルにしたのみならず、そのアレンジがもつ伝統(リプライズ)をさらに組み込む。これは、僕が異文化を取り込むアレンジの際に規範とする「入れるならルーツごと」のルールに即したものだ。

 

 

れは浪漫飛行の「合唱化」であると同時に、この曲を現在にもう一度通じさせようとする「リメイク」でもある。

 

あくまで僕個人の考えとご承知おきの上で聞いていただきたいが、今の日本の合唱界一般においては、基本的にポピュラー曲の合唱アレンジは原曲の劣化版作成になっていると感じられる。それは、ポピュラー音楽がポピュラー音楽であるために絶対必要な二つの要素である「地声表現」と「ビート感」が失われているからだ。それらの損失は致命的で、いかに美しい和音や複雑な和音を用いても埋めることはできない。ラーメンから油と塩分を抜いて体にいいものを作ろうとするような大人の欺瞞でもある。

 

合唱界の諸兄には誠に恐縮ながら、今の合唱界におけるポピュラー楽曲の採用例のほとんどは、決して合唱界の先生方がポピュラー音楽を高く評価した結果などではなく、若い世代を合唱に呼び込むための手段として用いらているに過ぎないと僕は理解している。

 

そして頭声を想定したアレンジで、地声表現やビート感が失われたJ-pop楽曲は結局、合唱が新マーケットとして当て込みたい「ポピュラー好き」の若年層に響くようなものではなく、せいぜい「合唱好き」の既存層を喜ばせるのが関の山となっているように見受ける。つまり、合唱を広げるビジネス戦略として成功しているとは言い難いと感じる。

 

しかし、パワーコーラス型合唱では、ポピュラーに必須の「地声表現」と「ビート感」を使う。そのため、合唱アレンジにより楽曲の感動が劣化する言い訳はできない。

 

果たして、偉そうなことを言っている僕はどうか。合唱バトルはどうであるか。合唱化が劣化であってはならない。浪漫飛行は無事、現代に新しい姿で再び舞い上がることができただろうか。

 

 


ドリーマーズ・ユニオン・クワイアー

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