願いを叶える神ではなく…

の勤める教会がまだ「黒人教会」だった頃、礼拝はエキサイティングで、泣きながらキリストの名を叫んだり、通路に倒れ込む人々がいた。その礼拝を訪れた日本人の知人が言った。「世界や人生にはこんなに理不尽なことも悲しいことも多いのに、この人たちは一瞬も神を疑ったりしないのか。」

 

本が一神教と相性が悪いのは、地震、津波、火山、台風を抱えてきた世界有数の災害大国だからだ、と、宗教学者の島田裕巳氏が著書の中で書いていた。唯一の正しい神が全能の力を持っている、というなら、造ってきたもの全てが災害で失われるこの国では、その神を恨み続けなくてはいけない。だから、自然一つ一つが個別の意思を持っているという神道、そして、「無常」を伝える仏教とは相性が良かったのだろう、という。

 

つまり、ある文化における信仰のスタイルは聖典によって作られるのではなく、人々が何を求めるかによって作られるのだ。それによって聖典の解釈も礼拝の仕方も変わる。

 

一神教で、聖典が明文化されたキリスト教でさえも、ヨーロッパで発展した僕らがオーソドックスだと思うものと、「黒人教会」における信仰は違っている。

 

頭の知人の質問に、僕は考えてから答えた。

「人生に理不尽や最悪のことは、神を信じてようが信じていまいが起こる。彼らの祖先は奴隷だったし非差別民族だった。その中で彼らの信仰は育ったから、そのことをよく知ってる。だから、彼らの信仰は、信じたらいいことがあるとか願いを叶えてくれるとかいう神じゃなく、最悪の時をどう乗り越えるかということに関わる神なんだ。」

 

人奴隷の時代から、彼らは聖書の中にいつも自分の心を救ってくれるフレーズを求めてきた。実際には文盲であることを強いられたので、宣教師の話の中にそういうメッセージを見つけ、自分たちの魂に叩きつけるような音楽に乗せてきたのだ。

 

これが、ゴスペルという音楽がキリスト教そのもの以上に日本人の心に訴えた理由でもあるのだろう。

 

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More Than I Can Bear は、以下の一節に基づく。

 

新約聖書 コリント人への第一の手紙 10章13節

あなた方の合う試練で、この世界で全く新しいというものはない。神は誠実であり、あなた方が耐えられないような試練に遭わせることはないし、試練とともに、そこから脱するための道も用意していてくれる。


ドリーマーズ・ユニオン・クワイアー

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