心を同期する手法 / First Love アレンジノート

難易度:

音程 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 4.5

リズム: ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 4

歌詞 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎  3

技術 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 4.5

 

 

のところ、当たり前と言えば当たり前だが、この曲は合唱には向かない。合唱には「歌う理由」が必要だからで、この曲のような「個人的なラブソング」は、歌詞として「集団で歌う理由」につながりにくい。

そして、歌詞が動機にならないことはパワーコーラス型合唱では大きな難点になる。

 

未経験者の合唱をエンターテインメントにしようとする時、どうしても和音の完成度よりも魂のこもった声の「パワー」のほうが魅力としてフィーチャーしやすい。そのパワーは「歌う理由」がしっかりしていれば容易に生まれる。合唱として歌うための「心の同期」が取りやすいのだ。

 

週に一回しか練習しないアメリカの黒人たちのゴスペルに凄まじいパワーがあるのは、「みなが思っていることを歌う」からであって、合唱で歌う理由の共有にまず問題がなく、自動的に心の同期が取れるているからだ(それなしにあのパワーを出そうとする日本人が「ボーカルトレーニングの先生」に頼らざるを得ない理由だ)。

 

個人的なラブソング、まして失恋ソングに「合唱で歌う理由」を持たせるのは難しい。心の同期が取りにくく、パワーを引き出すのが難く、ひいては、楽曲を魅力的に仕上げるのが難しい。

 

しかしそういう歌で「心の同期」をぜったい得られないか、と言われると、そうとは言い切れない。

 

の同期に繋がる理由づくりを歌詞に頼れない場合、他にいくつかの選択肢がある。

 

一つは単純に「共有しやすいリズムを持っていること」。これは、ある曲で同じダンスをすることで歌詞の内容に関係なく人が一体になるのと似ている。言葉のリズムの中でもそれが起こりうる。
例えば、「リンリンリリン リンリリリ リンリン…(恋のダイヤル6700)」などを楽しくハモっていくプロセスでは、必ずしも歌詞に共感できなくてもリズムを中心に歌い手の心の同期が進んでゆく。乱暴なようだが、歌詞への集中が薄れてきて、歌詞について細かいことがどどうでも良くなってくるからでもある。

 

だがこの手法は、基本的にポジティブな内容の歌詞で、内容を忘れても音楽性にあまり差し支えないような楽曲でやりやすいため、First Love のような深刻な内容では使用しにくい。

 

別の方法は、「フィクションとして共有すること」。例えばレミゼラブルの民衆の歌(♬怒れる者の歌が聴こえるか)という歌は遠い外国の歴史に基づく歌詞だが、個人的に共感できなくても、物語の背景を共有し、歌の中で「演技する」ことで心の同期を図ることができる(日本人のやるゴスペルもおおかたこれにあたる)。この場合、「物語からの距離」が、メンバー間である程度一致している方がいい。例えば、フランス革命を扱ったレ・ミゼラブルの世界観から一般の日本人までの時間的、空間的、政治思想的な「距離」は、だいたい同じだ。そのため同期が取りやすい。

 

同様の理由で、日本人が外国の宗教文化である Oh Happy Day を歌う時、歌詞の物語から歌い手の距離感は一致しやすい。メンバーに一人敬虔なクリスチャンが混ざっていたり、逆に敬虔なクリスチャンの間にただ楽しいから歌いたいだけのメンバーが入っていると、距離感が共有できないため同期が取れない。

 

First Love については、歌の物語から各メンバーまでの距離は、性別、世代、恋愛傾向、などでかなり差が出てしまう。人によっては純粋に自分の恋愛観と共有できる部分もあるかもしれないし、逆に、キスをしたらその口からタバコの臭いがしてくるような男に恋心を抱くイメージを共有できるのは、今のZ世代ではかなり少数派になるのではないかとも思える。

 

3つ目の手法は、2つ目の応用だが「内側の天使役」を演じることだ。失恋のような日常では集団で意思を一つすることのないテーマを編曲するときや歌うときは、僕はイメージづくりのために「心の内の天使団」を結成する。歌の主人公の心の中にいる、自分の全てをわかっていてくれて、自分の全てを受け入れてくれて、自分の伝えたいことを自分のために叫んでくれる天使たちの合唱団だ。「個人的な感情を集団で歌う」ことの整合性が取れるファンタジーというわけだ。

 

この手法は、音の構成や発声が心象風景を的確に捉えることで初めて可能になるため、繊細な曲に向き、野生的な曲には向かない。

 

このイメージングで出来上がるような曲は、ゴスペル指導者を名乗る人やボーカルトレーナーよりも、学術的に音楽を学ぶ旧来合唱の専門家の方が得意だろう。First Love ではまず、この形を考えてゆく。

 

加で考えるべきもう一つの同期の手法がある。「一つの歌を歌うことで同時代の記憶を共有すること」だ。ある世代が記憶に共有する曲を歌う時、歌詞の内容によらず、その歌を聴いた時代を集団で懐かしむというある種の軽いトランス状態から心の同期が起こる。

 

1999年のヒット曲である First Love では主にこれが起こりやすいだろう。今回「Z世代合唱団」となったメンバーの多くにとって、「自分の母が子育ての頃に聴いた」あたりの楽曲だったはずだ。

 

そういう懐かしさを強調して心の同期を促すためには、原曲の曲調や歌い方をあまり損ねないほうがいい。つまり、Habit や 紅蓮華で用いた、「原曲にない別モチーフを織り込む形」は適切ではない可能性がある。

 

民謡をアレンジした「最上川舟唄」はよく知られた合唱曲で、この複雑でパワフルなアレンジを先輩たちが高らかに歌う合唱が僕は好きだった。だから、山形出身の人の良いことで知られる老先生がこの曲に否定的な意見を持っていたことに驚いた。「あんなテンポでは船さひっぐり返ってすまう」というのだ。「記憶の共有」を同期に使うには、元の形、特にリズムを出来るだけ崩してはいけないのだ。

 

実際の First Love の構造だが、原曲のAメロでは、メロディーに繰り返し現れる「一拍目」のアクセント(「最後の」の「さ」と「の」、「キスはタバコの」の「バ」など)や歌い方が印象的だ。当時16歳の宇多田ヒカルの卓越したボーカルのニュアンスを崩さず、かつ「そこまでの匠の集団でなくても合唱にすることで再現できてしまう」ようなアレンジが合唱としては理想だ。

 

そこで、各アクセントをハーモニーにするというやや変わった手法を用いた。DUCではジブリメドレーの「いつも何度でも」に用いた技だ。「広げるが、崩さない」すなわち、「新たな編曲なのに懐かしい」という状態を狙ってゆく。

 

以上、4つの「心の動機」を取る手法を書き連ねたが、今回 First Love の編曲にあたっては、主に3つ目と4つ目の、ともに繊細さを要する手法を用いたことになる。

 

お、諸事情からアレンジ開始時点ではまだ女声合唱の予定でいるが、ここで、曲内でフィーチャーするべき女性ボーカル二人組がいるとの情報が入る。お二人とも歌には定評のあるトップアイドルだという。

 

実は、女性ボーカルのデュエットがハモりながらリードしてその後ろに重厚なコーラス、という形はゴスペルに頻繁に見られる。ポピュラーの世界ではデュオというと男女が多いが、ゴスペルでは女声2人の方が頻度が高いように思う。「コーラス」と「ソロのデュエット」は、どちらもコーラスのようでいて色々な理由で音色が違う「別の楽器」として響くため、一緒にごちゃっと鳴らしても意外と音の分離がいい。

 

宇多田さん本人が原曲で歌の本来のメロディーにアドリブ要素を多様に織り込んでいるので、これを、平歌のメロディーとアドリブ的要素に分解することで、前者をコーラス、後者をリードボーカルのデュオに、と役割分担をさせるような形に置き換える。また、それを途中で逆転させる。これをもって、クライマックスとする。

 

実際に合唱団で歌う場合は、ソロがデュエットとなっているこの曲の演奏においては「ソロが声量不足の場合、複数の歌い手でソロ部を歌う」という形はあまり合わない。コーラスとソロの音色が似ると音が無駄に混乱する可能性があるためだ。

 

皆さんが歌われる場合には、オーディションをしてソロを決める形を推奨してみたい。

 

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