かっこよさを信じない / 残酷な天使のテーゼ アレンジノート

難易度:

音程 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 4.5

リズム: ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎  4

歌詞 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎  ◾︎ 3.5

技術 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 4

 

 

東ローカルだったオールスター合唱バトル第一回目(「芸能人合唱バトル」)のためのアレンジとして、2022年の秋に手をつけた。

 

名だたる芸人さん達が歌うのだとその名前を告げられ、なかなかに緊張したものだ。

 

僕はあまりテレビを見る方じゃないが、芸人という人々へのリスペクトはやまない。たまに見るお笑い番組で見る芸人さんたちは、ウケている人もすべっている人も、常に「新しい何か」を作り出そうとしており、その何かを具体化と抽象化を繰り返しながら進化させ、ついにはブレイクする。しかもコントにせよ漫才にせよ、よくできた作品には音楽の持つサイクルと多くの共通点があり、これは大変勉強になるのだ。

 

とはいえ、この出会いに浮き立っているだけでは仕事は進まない。何せ、この仕事の条件は難しい。

 

1. 歌唱するのは合唱未経験者で、歌手でもない(歌ウマとは称するものの、経験値はバラバラ)。

 

2. 訓練期間は1ヶ月。何回程度リハできるかわからない。

 

3. 歌い手のキャラが立つよう、それなりに手応えがあり、感情が表れる作りでなくてはならない。

 

4. 音楽室での再現性があるように、伴奏は基本的にピアノと軽めの打楽器に限られ、バンド楽器は向かない。

 

1〜3までは合唱アレンジそのものを制限し、4はゴスペル系のサウンドも制限する。

 

日本では、優れた「合唱団」は難しい和音や構成を楽しむが、それも合唱に熟達していて初めて楽しめるものなので、今回はそこまでのことはできない。他方、日本でゴスペルを名乗るグループの多くは、単純なハーモニーだからこそ高らかに叫べるという点を楽しんでおり、複雑さや盛り上がりをバンドやカラオケで補うが、そのやり方も今回はできない。がしかし、制限があるからこそ力の方向が定まるものでもある。

 

レンジに取り掛かるが、まず、イントロのシンセブラスでの盛り上がりは、この楽曲のおいしいフレーズだ。これをテレビで名だたる芸人さんを突っ立たせたままピアノだけにやらせる、というわけにはいかない。かといってピアノに合わせて手拍子させるだけでは、何だか日本のおばさんゴスペルを見せられているようで、僕が視聴者ならげんなりしてしまう。

 

頭の中で居並ぶ芸人さんたちがどんな声を出しているかに耳を傾ける。もう少し正確に言うと、そのビジョンの中の彼らがどんな音を出すのを聴きたいか、を想像してみる。そうしているうち聴こえてきたのが「ウ! ハ!」の掛け声だ。その後、ストンと音量が落ちてAメロに突入する。

 

勢いが増してゆくBメロにはユニゾンを用いることを決め、サビへ向かう。

 

原曲ではサビの2拍目にシンセブラスがアクセントを打つ。歌詞がない位置でのこのアクセントはこの曲を特徴づける最も力強いアクセントでなくてはならないと感じるが、今回は声とピアノのみに楽器が限られているため、そのアクセントは全員で打つ形が好ましい。これを下手に2声やピアノだけなどで打てば、ありきたりな合唱に終始する。「Z」という子音のインパクトが手近にあるのだから(「ざ」んこく)、それを2回繰り返すことで解決するという形が理想的だ。僕としては消去法にも近いということだ。

 

れらのアレンジがコミカルで奇妙にも聞こえるのはハナから承知だ。だが、僕の音楽人生には一つの信念がある。それは、「カッコいいものをやること」というのは「誰かが作ったスタイルをやること」であり、「カッコ悪いことをやること」ということこそが、「まだ誰も完成させていないスタイルをやること」であるということだ。

 

「ミュージシャン」と「アーティスト」の違いがここにある。僕がミュージシャンを雇う時、カッコいいことをカッコよくできるミュージシャンを求める。彼らは職人であり、仕事をきっちりこなす。僕も、他人からミュージシャンとしてピアノの演奏を頼まれればそのようにあろうと努力する。

 

一方で、それは「アート」ではない。

 

 

新しいものが新しい必要や機会から生み出されるとき、それは最初、何かがはみ出していて、何が足りなくて、不完全である。それがアート誕生の瞬間だ。

 

まだこの世になく、だからまだこの世の評価を受けていない何か。それらは生まれた瞬間から見るからにカッコいいものであったりはしない。

 

笑われ、蔑まれ、使えないと言われ、それでもその価値を信じてやめずに磨き上げ、やがてゆっくり人がその価値に気づき始める。

 

このアレンジも同様だ。躊躇なく叫び上げてそのサウンドを聴き、そのタイミングと音質を調整して初めて感情を揺さぶる音に仕上がる想定のものだ。カッコいいか悪いかで声を張れるかどうかを決めるような精神とはそのサウンドは作れない。

 

最初から誰かがやったカッコいいことに従って生きた方が人生ははるかに楽だ。だから、そういう人々から「それは変だ」「それはカッコ悪い」と言われれば僕は「そうさ、ありがとう!」と返すのだ。

 

合唱バトルは、まさに新たなアートを必要とする新たな機会だ。

 

カッコよくなきゃできないというミュージシャンやシンガーたちには決してできないことを、芸人という人たちはきっとやってのけてくれるだろう。彼らこそは、カッコわるさなど恐れもせずに新たなアイディアを日々表に出し、それを磨き上げてやがて人に伝わるまで昇華させる達人たちなのだから。

 

この残酷な天使のテーゼは、そう信じるからこそ出来たアレンジだ。

  • https://youtu.be/326BjESpsZ8

    原曲はこちら:

    https://www.youtube.com/watch?v=3S5Yu9HpE3I



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