伝統が進化のツール / 川の流れのように アレンジノート

音程 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 3.5

リズム: ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 3.5

歌詞 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 3

技術 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 4.5


 

の曲のアレンジは、「これぞ合唱、という印象が欲しい。でもありきたりな合唱ではないものを」という、かなりアクロバティックなリクエストをもとに始まった。が、「他の誰にも応えられないリクエストだからお前に回ってくるんだぞ」と自分に言い聞かせて作業に向かう。

 

一つの完成されたメロディーをオリジナリティのある合唱編曲に仕上げるために、紅蓮華の「ヤッセー」やSHAKE の「Gotta shake it off」のように、「第二のモチーフ」を持ち込むのは一つのやりやすいやり方だ。が、歌謡曲であるこの曲には英詞やリズムスキャットを持ち込むと世界観が崩れてしまう。

かといって原曲のメロディーにハモリをつけるだけで完成では、わざわざテレビでやるような合唱ではなくなってしまう。音や表現がきれいなだけで人の耳目がついてくるなら既存の合唱でとっくにブームを起こしているはずだ。

何よりそれではチームや人の個性が活きない。

 

が飛ぶようだが、日本で90年代にゴスペルブームが起きたのは、「日本で失われた生活音楽としての合唱の夢」をゴスペルが見せてくれたからだ。

これが僕の持論。

 

その後、「ゴスペル(キリストの福音)」を名乗る音楽は「追及すればするほど国際的になり、国際的になれば宗教活動になることを避けられない」ということを市場が理解し始めたために衰退した。

 

今は、敬虔なクリスチャン指導者や、当時のゴスペルバブルでローブを着て稼ぎまくったノンクリスチャン指導者たちがあのブームを取り戻そうと残り火の中でもがいているのみだ。

 

ゴスペルブームが戻ることがないとしても、ゴスペルが見せてくれた声のパワーそのものは普遍的なものだ。あの夢を再び見せてくれる、その上で「ゴスペルを名乗らない」という生活音楽としての合唱があれば、必ずそちらのブームは再び来る。

 

は改めて、日本の合唱が失い、ゴスペルが見せてくれた「生活音楽の夢」とは何かを整理する。

 

一つは感情を乗せた地声合唱の感動。もう一つは歌唱能力に関係なく集まった人を一つにするビートの躍動だ。この二つこそがポピュラー音楽には必ずあり、教育合唱では封じられてきたものである。

 

それら二つは、元々この国の合唱にあった。「かごめかごめ」や「はないちもんめ」、ラッセーラーの祭りの叫びや、ソーラン節や茶摘み歌といった労働歌など、例には事欠かない。そもそも人が集まって歌を歌うとは、感情と生活や労働のビートを共有することだったはずだ。

 

それらが合唱から失われた理由には、戦後のGHQの教育方針や、敗戦による国民性に対する自信の喪失なども考えられるし、僕が個人的に調べ回って得た一つの仮説は、戦後の音楽教育の確立にあたって、当時の教育者たちが、500年の歴史を持つ「ウィーン少年合唱団」のサウンドをそのまま輸入したがったのではないかと言うことだ(昭和30年には初来日もしている)。

 

ウイーン少年合唱団の発声は「変声期前の少年に、全寮制のスケジュールで歌わせる」という特殊な環境で必要だった特異なものだ。おそらくそのために「喉に力を入れない」ことを美徳とした特異な発声になった。その結果の美しさがあるとしても、決してクラシックの標準などではない。にもかかわらず日本では至高の美として扱われ、子供の教育に取り込まれてしまったのではないか。

 

て話はアレンジに戻る。

 

こんなことを言っては番組スタッフに失礼かもしれないが、「演歌歌手による合唱団」だなんて、まるで僕がデザインした企画かのようだ。「日本の本来の声での合唱」の一つをここに見られるのだ!!

 

もちろん、日本人の本来の声と言ったって「川の流れのように」を昔の民謡調に落とし込もうというつもりはない。歌謡曲も進化している。古来の魅力を伝えるには、それを現在の形で甦らせなくてはならない。

 

まず、「ビート」を何で作り出すかだが、スキャットは曲に合わない。この曲を愛する人は「Du Tu Lu..」などというドゥワップ調のハーモニーを聞いたところでテレビを消してしまうだろう。

 

内容を英詞にして伴奏化する手法(「SHAKE」でとった手法)も同様に、この曲では使えない。この曲にも合唱団にも、やはり合うのは日本語だけだ。

 

本語の配列でリフ(Riff.. SHAKE参照)を作るために、昔から現在まで使われ続ける方法を使うこととする。「動機のずらし込み」だ。

「動機」もしくは「モチーフ」とは、フレーズの最小単位。例えば、上を向いて歩こうの「上を」にあたる。「向いて」は「上を」の動機の逆転した反復となり、その合計で一つのフレーズを作っている。

 

動機のずらし込みは今日までよくある手法で、僕のお気に入りは デズ・リーの「You gotta be」のサビだ。

 

僕の手元でわかる一番古い表出は、江戸時代中期には伝えられていたとされる伝統的な子守唄の冒頭「ねんねんころりよ おころりよ」だ。最初のフレーズ(ねんねんころりよ)では後半に現れる動機(ころりよ)が次のフレーズでは前方にずれ込んでくる(おころりよ)。

 

この手法はちょっとここでは説明しきれない脳科学的な理由で人間にとって心地いい。

「ああ、川の流れのように、流れのように」と言うイントロでリズムを構築した手法はこれにあたる。

 

歌詞が自然(ここでは川)を扱っていることで繰り返しのモチーフとして使いやすくなる感覚もある。自然は繰り返し脳内で映像化しても邪魔にならないからだ。

 

うして作った基本リズムは、やろうと思えば楽曲全体に伴奏として流し続けることができるが、もちろん本当にやったらしつこくなって聴けなくなるため、実際にはこのリズムの「残像を散りばめる」形で曲は進行してゆく。

 

このリズムを曲全体に失わず、かつ、演歌歌手達に自慢の声を存分に使用してもらえるよう、その他いろいろな手法を用いてピークまでをデザインしているが、別の機会に記述したい。

このような話をたたかわせることができるお相手との対談のようなものがあれば理想的だが…

 

実際の歌唱では、まずよく音程を身につけた後で、自分の声が叫びになることを恐れずに叩きつけられるところまで持っていっていただきたい。そのためにはまず何はともあれ「暗譜」、その後に、メモする以外の目的では楽譜を見ずに練習することが重要になる。

 

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