和の合唱へのブレンド / 世界に人だけの花 by 演歌合唱団

こまで2回を勝っている王者の一曲だ。前回の感じからいくとおそらく14曲中最後の曲になるのだろうと思った。制作側も、誰もが納得いく一曲を考え抜いたと思う。さてその曲で、王者である演歌歌手の集団が何をするべきだろうか。

 

あるアーティストが売れる理由の多くは「その人」が「それを歌う」、と言う要素がマッチしていることだ。非モテ女子が歌うフラれ歌、苦労人が歌う不屈の精神、落ちこぼれと呼ばれた若者たちが歌うパンクロック、メンヘラと呼ばれる人々が歌う自傷歌。歌に歌い手が何者なのかが表れていることこそが人を惹きつける。

編曲の作業でも微力ながらそれを引き起こすことができる。誰が歌っているか、が歌に最大限現れる合唱編曲こそ最高の仕事の一つだろう。

演歌歌手たちが自分たちが何者であるかを最大限発揮できる手法について考えれば、最初に浮かぶ単語は「こぶし」だ。

 

の番組は始まって以来、演歌歌手たちはこぶしを封じられてきた。こぶしは歌い手の思いの丈に合わせて発動するものであり、2022年の演歌合唱団との出会い以来、「皆で同じこぶし」と言うことはどうやら出来ないことを知った。演歌のこぶしは師匠や地域から受け継いだ上で自分の特性として磨き上げる完全な個人技であり、アンサンブルのためにはこれをある程度封じてもらう必要があったわけだ。

しかし、こぶしこそは彼らの表現手段中最高の武器だ。この華々しい企画のエンディングなら少しでもそのパワーを解放できないだろうか..、そう考え始めた。しかし槇原敬之氏の曲に即こぶしは異物感がある。異物感が悪いと言うことはないが、笑いを誘ってしまうかもしれない。それは別の合唱団がやる。

 

あれこれ考えるうち沖縄民謡風に思い至る。ポピュラー風と民謡風の間を取れるのではないか。いじっているとなんとなくマッチしてきたが、民謡に寄りすぎて今度はアレンジそのものに異物感が出る。そこでポピュラー音楽の一派であるレゲエのビート感をブレンドする。沖縄と同じく南国であるジャマイカ発祥のレゲエは不思議と沖縄民謡に似たところがある。

「海が穏やかだと、海が荒れ狂う地域とはこぶしが変わってくる」と、演歌合唱団の二見颯一さんが前回の打ち上げで説明してくれた。沖縄とジャマイカのあたたかな海を僕も両方体験したことがあるが、確かに感情的な体験としてはよく似たものだ。似た自然環境が似た情動と音楽性を生み出すと言うことか。

レゲエ感が原曲と沖縄風を結びつける接着剤となった。この感じなら、この上に演歌歌手たちのこぶしが乗っても異物感は出なそうだ。

 

ビは、原曲では「ひとつ」や「だけの」などのリズムがシンコペーション(微妙に拍の頭を外しやや「オシャレ」な位置に音を置くこと)している。当然それはソプラノとアルトが歌っているのだが、これに対し、ベースとテナーのフレーズのリズムを拍の頭に音をずっしり置いた形に改造してある。そのためにこの2パートにちょっとだけ歌詞を追加さえしてある。
実は、この2パートのフレーズは「ラッセーラー、ラッセーラー、ラッセーラッセーラッセーラ」と同じアクセントで、これをサビに和のテイストとして隠しながらブレンドしている。

イントロには大ナタをふるう。この曲では原曲のコード進行はいじらない方がいいと感じるが、イントロは誰もが知る曲への幕開けとして少し映画のイントロのような演出があってもいいだろう。のちの華やかさとコントラストを出すために空虚な完全音程でスタートする。声明(しょうみょう/お経の読み上げ)のような空気感で、後で出てくる和の空気の伏線とした上、後の明るさとの良い対比になるはずだ。

 

後のラララは思い切ってユニゾンとする。それは祭りのように会場と一体になるための選択肢だ。その代わり、この溢れんばかりの人材の海から数人ずつが出てきて「合いの手」の位置でハーモニーを添える。

こうして原曲のコード進行を崩さずに和のテイストがブレンドされた合唱が完成した。

 

演歌合唱団 世界で一つだけの花

 

@gassho_battle Tverに見逃し配信あります!#オールスター合唱バトル ♬ オリジナル楽曲 – オールスター合唱バトル

  • 伴奏

    https://youtu.be/hrkL1zOKY4M

     

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