音程 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 5
リズム: ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 5
歌詞 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ◾︎ 4.5
技術 : ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ ⬛︎ 5
さてこの難曲どうしてくれよう。
ただメロディーを歌うだけでも難しい曲で、それを集団で歌うだけでも苦心しそうだ。
誰にも歌えないアレンジを作ることはできないし、メロディーをソプラノに任せて他はウーやアーでやり過ごすようなやり方で歌のモチベーションを維持できるわけがない。
そこで、この曲を「どう分解するか」を考える。
この曲から僕が最初に感じるのは「崇拝」の演出だ。アイドルという単語はもともと「偶像」を意味し、キリスト教では本来嫌われる存在だ。「目に見えない唯一の創造主」が神であり、本来不完全な存在である人間や人間が作り出したもの(アイドル)を崇拝することは愚かな過ちとされ、「十戒」の第ー項で禁止されている。その邪教の崇拝をイメージさせる「You’re my Savior, Grace!(あなたは私の救い主、恩寵を!)」という演出が原曲にある。不気味さを助長するベルカント唱法やサウンドでもあり、これはぜひこのまま残させてもらう。演歌歌手たちはこの発声にトライすることを挑戦として学んでくれると思うし、面白いだろう。
歌詞を眺めると、明らかに男側の視点のフレーズがあり(今日何食べた〜どこにゆくの?)、アイドル側の答えが続く(何も食べてない〜)。「好きなタイプは、さあ答えて」なども男側のセリフだ。原曲は女声ボーカル一人のユニットなのでこれらを一人で歌うのは自然だが、混声合唱でやるのにこの物語の役柄を男女で分けないのは不自然に感じる。この男女役割分けがまず分割点だ。必然と、原曲のBメロの背後に入っているヲタ芸の一部と思われる掛け声などは男声の役割になってくる。サビに突入すると男女が統合されて一つの歌詞を歌ってゆく。
ラップ部は今のJ-popには大変珍しい形でテンポが何度も変わってゆく。どういうプロセスで録音したのだろうか。ここは難関だが、ディフェンディングチャンピオン演歌合唱団なら乗り越えてくれるであろう半音階進行を書いてゆく。
原曲のシメには再びベルカント唱法での擬似宗教歌が現れるので、これをそのまま使わない手はない。
演歌歌手がそのサウンドを集団で出して終わることの迫力は、僕も見てみたいと思いながら書かせてもらった。
上記の通り、この曲を「複数の主観が入り混じった歌詞」と「不完全な人間が完全を装って崇拝を勝ち取る」という2面から理解/分解させてもらい、そこに「最高の喉を持った男女半数ずつの集団」というツールのために再構築していった。
原曲を愛する人の一部にとってはもちろん耳障りに聞こえることもあるだろうし、オンエア後、SNS上にはそのような意見も踊っている。
が、「ソーラン節はヒップホップで踊るような曲ではない」とか、「大地讃頌はジャズトランペットで吹くべきではない」といった(作曲者本人による)話もよくあるし、そういう意見が出ることは音楽の世界では日常茶飯事だ。
でも音楽は自由なものだ。例えば作曲者が性犯罪を犯しその被害者がいるとか、あまりに原曲に対するリスペクトに欠けるとかいうケースはまたそれぞれに別件だが、そうでない限り、「歌はオンエアされたらリスナーのもの」というのが僕の持論だ。誰も、誰がその曲にどういう思い出を加えていくかやその歌をどう口ずさむか、どう自分で演奏するかまでコントロールすることは決してできない。人の心がそこにあり、そこから新たな音楽が生まれるなら、それは人間の自然な音楽活動として奨励されるべきことだ。
誰が何を言おうが、このアイドルは演歌合唱団がいたからこそ生み出すことができるアートに仕上がったものと思う。ビシリとエンディングを決めた演歌合唱団への喝采で、騒音はかき消されてゆく。
@gassho_battle 鳥肌でした…#オールスター合唱バトル ♬ オリジナル楽曲 – オールスター合唱バトル
https://youtu.be/W3LE8z4NsJk
https://youtu.be/oYKn2lacM34
https://youtu.be/Cj_vuPlKwDo
https://youtu.be/s8MwZv9xa3I
https://youtu.be/2EpTvf0lQbo