黒人霊歌を学ぶ理由

2017.4.11


タローです。

黒人霊歌の英語は本来、「二グロ・スピリチュアル」。
ある黒人の友人は、今はもうそれを二グロ・スピリチュアルなどと呼んではいけない、と僕を叱りました。
ニグロは黒人に対する最もひどい差別用語であり、音楽のためと言っても滅多なことで使っていい言葉ではない、というのです。

別の黒人の友人は、きちんとニグロ・スピリチュアルと呼べ、と僕を叱りました。
それをアフリカンアメリカンスピリチュアルだとか、ただのスピリチュアルなどと呼ぶのは悲しい歴史を無視することであり、そんな呼び方をしたら黒人たちはお前を黒人史のわかってないやつだと思うだろう、というのです。

そこに、どちらが正しいという答えはなさそうです。

この「二グロ」はスペイン語で「黒」の意味の単語で、奴隷制時代に白人たちが黒人のことを言い表した言葉です。奴隷たちが生活の中で歌い続けた歌の数々を、広義に二グロ・スピリチュアルと呼びます。
実際に自分の父母、祖父母や祖先が差別の中に生きた彼らの歴史の重みは、日本の僕らには計り知れぬものがあります。
それでもDUCが黒人霊歌を歌うのは、それが「生きるための音楽」の根源だからです。

広義での黒人霊歌は、必ずしも宗教歌ではありません。
奴隷たちにとっては神は、賛美よりも嘆願の対象であり、その言葉は悲哀とともに、多くの皮肉を含みます。

読み書きが許されない中で、歌は大切なメッセージを繰り返し伝え、感じるためにハーモニーと言葉のリズムを発展させ、それはゴスペルのみならず、ブルース、ファンク、ラグタイム、ロックンロール、すべての黒人音楽の祖先となりました。

賛美と愚痴と躍動と悲哀。黒人霊歌は、ビッグバン前の宇宙のように、今日の黒人音楽の要素のすべてを含んだ一つの音楽だったのです。

僕らはゴスペルの持つ希望やパワーに魅せられます。日本でゴスペル現場を歩けば、「難しいことは言わず、歌って楽しければいいのでは?」という態度に、いくらでも出会えます。

しかし、いい悪いの話はともかく、この音楽が決して希望やパワーに溢れた場所から生まれたわけではない、ということを学ばなければ、「この音楽の一番の感動を取り逃がすことになる」のです。
苦味を知ろうとしない料理人に料理ができるはずがないように、悲哀に向き合わずにゴスペルの声のパワーを語ることはできないのです。

Power Chorus は、黒人霊歌とゴスペルの流れを汲む、「命のコーラス」の音楽です。
それでDUCは、黒人霊歌を学ぶことをおろそかにしたくないと考えているのです。

Can You Still の着想

2017.2.10

タローです。みなさんに愛していただける幸せな楽曲、Can You Still の誕生について少し、今日はお話を。

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着想の一つは、2009年のNHKスペシャル「魔性の難問」の再放送だった。

 

素数の魔性に満ちた魅力と、その謎に挑んだ数学者たちの悲運をつづった番組で、番組は数学の見識がなくてもロマンを掻き立てられる、精妙な造りになっていた。

その冒頭に、ルイ・ド・ブランジュという一人の老数学博士が登場する。番組放映時点で77歳。博士は毎朝ランニングマシンに乗り、汗だくになって走り続ける。
博士は、人生で4度目となる素数の謎を解明したという論文を提出したが、その検証は学会の数学者たちによって行われ、証明されるまでに少なくとも4〜5年かかるのだという。
フランス人の平均寿命を超えた博士の、その結末を見るまでは死ねないという思いが、博士を毎日走らせる。その美しい1シーンに、まんまと僕は心を掴まれた。

 

Sounds Of Blacknessのディレクター、ゲイリー・ハインズ氏を日本に迎えた時、たくさんのわがままを聞いていただいたが、そんな中、数少ないゲイリーさんからの注文は、「毎朝、ジムを使いたい」とのことだった。ゴールドジムの近いホテルを予約し、僕は最初の朝、ホテルにゲイリーさんを迎えに行き、ジムまで同行して付き合った。最初の40分はひたすら黙って、音楽を聴くこともなく、ランニングマシンで走っていた。

間もなく60歳の彼は、大ヒットこそないものの、結成から40年を経て今もNAACPやステラ賞のような大賞にノミネートされ続けている。彼の顔に僕は、夢を追い続ける者の「明日倒れることはできない」という決心を見た。

 

長期にわたって夢を追い続けるのは楽でもなければカッコよくもない。

 

30歳を超えてもビジュアル作ってバイトからスタジオに向かうギタリストや、40歳を超えてもブレイクを夢見てネタを書き続ける芸人が、かっこいいと言われることはあまり多くない。
歳をとるほど「何の芽も出ない、そんなことをいつまでやっているんだ」、と周りじゅうから言われる。

 

そんな日々が続けば、世界を愛するのが難しく思える時もある。

世界が自分に夢を与えてくれたのに、その世界は夢を追う自分がここにいることを忘れてしまったかのようで、静かに、でも確実に、自分は時間から置き去られてゆく。

 

それでもまだ立てるか。
まだ走れるか。
まだ世界を愛せるか。

 

Can You Still は、その覚悟の向こうに答えがあると信じ続けられるように。
まずは、歌い手である僕ら自身のための歌であり、

それであってこそ、それを見て「自分も」と思ってくれる方々の歌になってくれるのではないか思う。

 

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聖衣ローブの葛藤:アフリカン・ローブ

2015.10.30

 多くの方が、ゴスペルを歌う際の衣装として「ローブ」を思い浮かべると思います。クワイアーローブは、大勢で体を揺すった時に動きが揃い、華があります。
しかしそれ以上に、日曜の朝に教会に自由な服装でやって来たシンガー達が、上からずぼっとかぶるだけで聖衣になるという大変機能的な衣装であり、教会の営みと深くリンクした習慣であるといえるでしょう。

 

 さて、ご周知いただいているとおり、Dreamers Union Choir はゴスペルクワイアーではありません。しかしながら、DUCはゴスペルという音楽の魅力に魅せられ、そのスキルを伸ばしているので、ゴスペルの演奏に挑んだり、ゴスペルの演奏ご依頼をうけたりします。
DUCがゴスペルグループを名乗らないのはまさかゴスペルを嫌っているのではなく、ただ単純に、「宗教的な意図を持たない集団がゴスペルグループを名乗るのは国際的に、あるいは語彙的に珍妙である」という事実に即したものです。

 

 そこで、「聖衣」といえるゴスペルの定番衣装、ローブの件が課題になる事があります。
 DUCは、教会という歴史と営みを心から尊重するがゆえに、「ミニストリー(宗教活動)のフリをする」事を嫌っています。クリスチャン団体でないのに聖衣であるローブを着て集団でゴスペルを歌えば、より、正式な儀式の姿へと近づいて行きます。音楽を高めて行くことを「もっともっとゴスペルグループのフリをする」ことと置き換える態度は、魂からの音楽を作り出すアーティスト団体としては避けるべき方向性だと考えています。
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しかしながらこの、歴史を踏まえ、確かにそのスピリットを伝えるという音楽活動には、「聖」なる側面がある事もまた事実と考えており、ローブという衣装に自分たちがふさわしいかどうかには、いつも自問があるのです。
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現時点での一つの答えが、「アフリカンローブ」です。
ゴスペルという礼拝音楽を作った要素の一つの起源は、アフリカに辿る事ができます。キリスト教に出会う以前の名もない土着の宗教の時代から、人々は神性や創造主を讃える音楽を奏でてきました。

 

その歴史と精神に敬意をこめてDUCは、ローブを着用する際、キリスト教会式ではないながら、歴史や文化を表す衣装としてアフリカンローブを選択しています。

 

様々な考え方、見方があるなかで、自己満足という見方もあり得るかもしれませんが、DUC と Power Chorus コンセプトが追う道筋での、現時点での答えです。

 

ところで、様々な理由から現代のゴスペルアーティストたちはローブを着る事は少なくなっています。最近では、ゴスペルグループがローブを着ることは時に、やや古風な印象や、伝統的であるという印象が伴います。ちょうど日本でいうと、演歌歌手が昭和と違って着物を着る事が少なくなっている事と似ているでしょう(男性シンガーに顕著ですね)。

 

ライブ写真:ヨシカワアキ

ゴスペルの作曲・黒人霊歌のリメイクという手法。

2015.10.8

Over My Head by Dreamers Union Choir

(PCでご覧の場合、再生後、画面下の字幕アイコンをクリックする事で日本語訳とともに見られます

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広義での黒人霊歌は、賛美歌や宗教歌だけではなく、Work Song とよばれる農園奴隷や舟こぎたちの歌、物売りの売り歌などが含まれる。

そのうちの一部である宗教歌が、教会で発展してゴスペルへと進化した。

もちろん、歌詞もメロディーも新たなものが次々書かれてゆくのだが、黒人たちの教養が高まってゆくにつれ、歌詞の内容はより聖書に忠実で正確になっていった。

 

黒人霊歌の歌詞の中ではしばしば、旧約聖書の1シーンと新約聖書の1シーンが脈絡なくごった返したり、文法が未熟だったりするため、そのまま教会で歌われることは少なくなっていった。

しかし現在でも時にゴスペルアーティストたちは、古い黒人霊歌を拾い上げ、そのサウンドやテーマを現代のスタイルへと拡張して仕上げることで、今の教会で歌える歌へとリメイクすることを行っている。
例は無数にあるだろうが:
Kurt Carr の Kumbaya,
Kirk Whalum の Wade In The Water,
John P. Keeの Standing In The Need Of Prayer,
Kirk Franklin の Up Above My Head (原曲 Over My Head)
などがそれにあたる。

(各アーティストのこれらの曲と、もとの黒人霊歌を検索して比べると面白いだろう)

 

書き手もわからない民謡をモチーフにした現代歌という意味で、日本で言えば、昨今中高の体育祭などで流れるソーラン節の現代リミックスが近いものと言えるのではないか。
その言葉には馴染みがあり、自分たちの民族性も反映されていながら、自分にとって現代の音楽でもある、という形だ。

Dreamers Union Choir にもいくつか、黒人霊歌のテーマやメロディーを含んだ楽曲がある。 そのうちの一曲、Over My Head は、アメリカのゴスペルビデオ放送番組、「Gospel Music Presents」で、ドナルド・ローレンスやサウンズ・オブ・ブラックネスのビデオと並んでアメリカ全土に放映された。

 

Over My Head by Dreamers Union Choir (written by Taro Kijima)
冒頭で原曲である黒人霊歌「Over My Head」を歌っているのは、アメリカからのゲストシンガー、レディー・ウォーカー。僕らにたくさんのエンターテイメントの知恵を残してくれた老練のシンガーが、ゲストで参加してくれた。

「天高く、風の中に音楽が聞こえる。どこかに神がいるのだ。」
身体中に傷を負い、家族を奪われた奴隷たちが空を見上げて歌ったのだと思うと、心をかきむしられるような黒人霊歌だ。DUCはそのテーマに、一度は夢破れてまた立ち上がる夢追い人たちの人生を映す。

DUCスタイルなので、本ブログの表題に反して、結果的にゴスペルではなくなってはいるが、「人が生き抜くための歌」の歴史を、現代の僕らのために紡ぐ。

 

10/24 チケットご予約はこちら

黒人霊歌:歌が担った、絶望を生き抜くための機能

2015.9.29

奴隷として生きることを強いられたアメリカの黒人たちが、その絶望を生きぬくために歌い続けた、書き手もわからならい歌の数々です。

人が人を所有物として扱い、子供達は小さな頃から、お前は価値が低い生き物だから奴隷として生きるのだと教え込まれる。奴隷の人生の凄惨さは、多くの資料が語ってくれます。

悲しみや苦しみの中で人々がともに歌う、という文化そのものは、黒人たちがアフリカから持ち込みました。彼らがキリスト教に出会う以前のお話しです。やがて、ゴスペルや、ブルースや、ファンクやジャズや、すべてのアメリカの黒人音楽へと進化することになる、ビッグバン前の宇宙のような存在が、この黒人霊歌です。

趣味でも、娯楽でもない。歌わなければ生きて行けない者達が高らかにコーラスする、それが、僕らがゴスペルに感じた魅力の正体です。

DUCが演目の中に黒人霊歌を取り込むのは、それが「生きるために必要であった歌」そのものだからです。

10/24 Sing To Survive さいたま芸術劇場
チケットご予約 http://powerchorus.theshop.jp/


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